騎驢覓驢
読み方:きろ べきろ
意味
すでにロバに乗っているのに、さらにロバを探し求める意から、自分がすでに持っているものや、自分自身の本来の価値・真理に気づかず、外にばかり求めることをいう。
由来
中国禅宗の語録『景徳伝灯録』に見える禅語。宋代の1004年ごろに編纂された同書には、すでにロバに乗りながらロバを探すというたとえが説かれる。悟りや仏性を外部に求めるのではなく、自身の内に見いだすべきだという趣旨から生まれた表現である。
備考
禅語として、自己の内にすでに備わる仏性・可能性を自覚する重要性を説く。日常では「手元にある価値を見落として外に求める」という、やや批判的な意味で用いる。
補足
- 「騎馬覓馬」は類似した別表現であり、「騎驢覓驢」の誤記ではない。
- 「覓」を「求」として「騎驢求驢」とするのは定着した四字熟語ではない。
例文
- 彼は十分な才能を持ちながら成功法則ばかりを探している。まさに騎驢覓驢だ。
- 自分の身近な人材を生かさず外部の専門家ばかり求めるのは、騎驢覓驢になりかねない。
- 答えは自分の経験の中にあったのに、私は長い間騎驢覓驢をしていた。
分類
類義語
- 騎馬覓馬
- 騎牛覓牛