不憤不啓
読み方:ふんせずんば けいせず
意味
学ぼうとして心から苦しみ考え、答えを求めるほどの意欲を示さない者には、こちらから教え導かないという教育の原則。学習者自身の主体的な探究心を重視し、教師はその機が熟してからヒントや教えを与えるべきだという意味である。
由来
中国古典『論語』の「述而」篇にある孔子の言葉「不憤不啓、不悱不発(憤せずんば啓せず、悱せずんば発せず)」に由来する。孔子(前551年~前479年)の教育観を伝える一節で、『論語』は戦国時代ごろ(前4~前3世紀ごろ)に編纂されたとされる。「憤」は怒ることではなく、理解できずに奮い立って考え抜く状態、「啓」は教え導いて理解を開かせることをいう。
備考
原文では「不悱不発」と対で用いられる。「憤」は単なる怒りではなく、学びたいのに分からず懸命に考える状態を指す。現代では、放任ではなく主体的学習を促す教育観として引用される。
補足
- 「憤」を単なる怒りと解釈するのは不正確で、ここでは理解を求めて懸命に考え悩む意をいう。
- 「不奮不啓」と書くのは誤りで、正しくは「不憤不啓」。
例文
- 教師は、不憤不啓の考え方に基づき、生徒が自ら問いを立てるまで安易に答えを与えなかった。
- 不憤不啓とはいえ、学ぶ意欲を引き出すための環境づくりまで怠ってよいわけではない。
- 彼は不憤不啓を教育方針として掲げ、学生の試行錯誤を辛抱強く見守った。