水清無魚
読み方:すいせい むぎょ
意味
水があまりに澄みきっていると魚が住めないように、人もあまりに清廉・厳格で、他人の欠点や小さな過ちを少しも許さないと、周囲に人が寄りつかず孤立してしまうというたとえ。清潔さや正しさにも、他者を受け入れる寛容さが必要だという意味で用いる。
由来
中国の古典『孔子家語』の「入官」にある「水至清則無魚、人至察則無徒(水至って清ければ則ち魚無く、人至って察なれば則ち徒無し)」に由来する。成立時期は明確ではないが、『孔子家語』は魏・晋代(3~4世紀頃)までに現行の形が整ったとされる。この句の前半を縮めて「水清無魚」という四字熟語になった。
備考
清廉さそのものを否定する語ではなく、過度の潔癖さ・厳格さが人を遠ざけることを戒める表現。人事・組織運営・対人関係について用いられることが多い。
補足
- 「水清無魚」は、水がきれいなこと一般をほめる表現ではなく、過度の厳格さが孤立を招くという戒めである。
- 「水清ければ魚棲まず」は、この語の由来となった意味を表す言い回しであり、四字熟語としては「水清無魚」が用いられる。
例文
- 彼は不正を決して許さない立派な人だが、部下の小さな失敗まで厳しく責めるため、水清無魚の状態になっている。
- 組織を健全に保つには規則が必要だが、水清無魚にならないよう、事情をくみ取る柔軟さも求められる。
- 完璧さだけを他人に求めれば水清無魚となり、相談できる仲間を失いかねない。
分類
類義語
- 曲高和寡
- 孤高不群
対義語
- 寛容大度
- 和衷協同