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廓然無聖

読み方:かくねん むしょう

意味

禅で、究極の真理の立場では「聖なるもの」として特別に取り立てるべき実体はない、という意。分別や執着を離れた、広々としてわだかまりのない境地をいう。「廓然」は広く空虚で隔てのないさま、「無聖」は聖・俗を区別して執着する対象がないことを表す。

由来

中国・南北朝時代の6世紀頃、梁の武帝が達磨に「聖諦第一義、いかなるか」と最高の仏教的真理を尋ねた際、達磨が「廓然無聖」と答えたという禅問答に基づく。逸話は11世紀初頭成立の『景徳伝灯録』に収められ、12世紀の禅書『碧巌録』第一則でも著名になった。

備考

主に禅宗の語として用いる。日常会話で一般的に使う四字熟語ではなく、禅の思想・公案に関する文脈に適する。「聖なる価値を否定する」という単純な無神論的意味ではない。

誤用・混同注意

  • 「無聖」を単に「聖人が一人もいない」という人数・存在の否定だけに解するのは不十分で、聖凡の分別を超える禅的な意味を持つ。
  • 「むせい」ではなく、禅語としては通常「むしょう」と読む。

例文

  • 達磨の「廓然無聖」という答えは、聖と俗を分けて考える執着を打ち破る言葉として読まれている。
  • 修行の成果を特別なものとして誇る心を捨てるとき、廓然無聖の境地が示す意味が見えてくる。
  • 住職は法話で、「廓然無聖とは、聖人がいないというだけでなく、聖凡の区別を超えることだ」と説明した。

分類

類義語

この四字熟語に使われている漢字