唯心浄土
読み方:ゆいしん じょうど
意味
浄土は心の外にある遠い場所ではなく、衆生が心を浄めるところに現れる、という仏教の考え方。自分の心を見つめ、迷いや執着を離れることを重んじる語である。しばしば「己心弥陀」と対にして用いられる。なお、宗派や文脈によっては、阿弥陀仏の浄土の実在を否定する意味ではない。
由来
中国・北宋初の僧、永明延寿(904〜975)による『宗鏡録』(961年ごろ成立)に見える「唯心浄土、己心弥陀」を踏まえた語とされる。浄土や仏を心の外にのみ求めず、自らの心に仏・浄土を観ずる唯心思想を表す。背景には『観無量寿経』の「是心作仏・是心是仏」などの教えがある。
備考
多くは「唯心浄土・己心弥陀」と八字で用いる。浄土教の他力信仰を一律に否定する語ではなく、天台・禅・浄土教などで解釈に違いがある。
別表記
- 唯心淨土
誤用・混同注意
- 「浄土が存在しない」と断定する意味に解するのは不正確で、宗派・文脈によって解釈が異なる。
- 近代哲学の「唯心論」と完全に同義の語として扱うのは不十分である。
例文
- 天台の教えでは、唯心浄土の立場から、まず自らの心を浄めることが説かれる。
- 彼は「唯心浄土、己心弥陀」という言葉を掲げ、日々の行いによって心を整えようとした。
- 唯心浄土を、内面を見つめ直して迷いを減らすための教えとして読むことができる。