旅行先へ荷物を送るとき、住所を書いていて、ふと不思議に思ったことはありませんか。大阪は「ふ」、京都も「ふ」。東京は「と」で、北海道は「どう」。そして地域によっては、町や村の前に「ぐん」が入ります。
この呼び分けは、人口や面積によるランクなのでしょうか。それとも、昔の身分のようなものなのでしょうか。
答えを先にいえば、現在の制度上の位置づけと、その文字が選ばれた歴史は、分けて考える必要があります。 住所でおなじみの五文字には、古代中国の文字文化と、日本の行政制度の変遷が折り重なっているのです。
まず整理――四つは同じ段階、一つは別の存在
最初に、現在の使われ方を見渡してみましょう。
| 漢字 | 意味 |
|---|---|
| 県 | 現在は広域の地方公共団体の呼称の一つ。43県がある。 |
| 都 | 政治の中心となる都市。現在の行政区画では東京都に用いる。 |
| 府 | 役所やくら。現在の行政区画では京都府・大阪府に用いる。 |
| 道 | 通行するみち。地域区分の名称にもなり、現在は北海道に用いる。 |
| 郡 | 現在は町村をまとめる地理的な区域の名称で、地方公共団体ではない。 |
現在の日本には、1都・1道・2府・43県、合わせて47の都道府県があります。これらはいずれも広域の地方公共団体であり、「都が府より上」「府が県より上」という序列はありません。
ただし、制度の細部まで完全に同じというわけではありません。東京都では、23の特別区との間に、一般の県と市町村とは異なる事務分担や財政調整の仕組みがあります。
一方、郡はこの四つと同列ではありません。現在は郡知事も郡議会もなく、郡が町村を治めているわけではないのです。
「県」――行政の文字になる前は「つり下げる」形だった?
五文字のなかでも、字源に意外性があるのが県です。
旧字体は「縣」。その古い字形については、首を逆さにつり下げた姿に由来し、「かける・つり下げる」を表したとする説明が広く行われています。現在の字形だけからは、なかなか想像できません。
ただし、ここで「罪人の首をさらした場所が県になった」と物語をつないでしまうのは早計です。文字の成り立ちと行政区画の名称の由来は、同じ話ではありません。行政区画を表す用法は、一般に文字の借用として説明され、つり下げる意味は後に「懸」の字が担うようになりました。
中国の「県」と日本の「県」は、位置づけが違う
中国では、春秋・戦国時代から県という統治単位が発達しました。秦の統一後に整えられた郡県制では、基本的に郡の下に県を置く仕組みが採られています。
日本の住所に慣れていると、「県の中に郡があるのでは?」と感じるところです。同じ文字でも、時代と国が変われば制度上の位置は変わります。
日本では、県を「あがた」と読む古い用法もあります。これは大和王権と結びついた地域支配の単位などを指し、明治以降の県と同じ制度ではありません。
現在につながる県の枠組みは、明治初期の改革、とりわけ1871年の廃藩置県を大きな転機として整えられていきました。古くからある文字を、新しい統治の仕組みに使ったわけです。
「都」と「府」――みやこと役所、似ているようで違う出発点
どちらも政治の中心を思わせる文字ですが、字の組み立てに注目すると、出発点の違いが浮かびます。
都は、人が集まる「みやこ」の文字
都は、土地や集落に関わる「邑」と、音を示す「者」からなる形声文字とされます。右側の「おおざと」は、邑が偏旁として姿を変えたものです。
都が表すのは、大きな町や、天子・政府のあるみやこ。「都市」「都会」という言葉にも、人や物が集まる場所という意味が生きています。
では、東京は首都だから、明治の初めから東京都だったのでしょうか。
実は、以前は東京府で、その中に東京市がありました。1943年、戦時下の行政体制再編によって東京府と東京市が廃止され、東京都が設けられます。現在の都と特別区の制度は、その後の地方自治制度の整備や改革も経て形づくられたものです。
「みやこ」という文字の意味と、「東京都」という自治体の成立には、別々の時間の流れがあります。
府は、文書や財物を集める場所から
府は、建物を表す「广」と、音を示す「付」からなる形声文字とされます。古くは文書や財物を収めるくらを意味し、そこから役所・官庁を表すようになりました。
税として集めた物資や、統治に必要な文書を保管する場所。そう考えると、くらと役所の意味がつながるのも自然です。「政府」「幕府」に使われる府にも、この役所・統治機関という意味が通っています。
明治政府は1868年、府・藩・県を用いる地方制度を始めました。当初の府は現在の二つに限らず、1869年には東京・京都・大阪の三府に絞られます。のちに東京府が東京都となり、京都府と大阪府が残りました。
つまり、今の府は「人口が一定以上になった県が昇格する称号」ではありません。明治初期の制度の呼び分けが、歴史を経て受け継がれた名称なのです。
「道」――道路の文字が、なぜ広い地域を表すのか
道は、移動に関わる「辵」と「首」を組み合わせた字です。しんにょうは辵に由来します。首が字の成立にどう関わったかには説がありますが、道が通行するみちを表す文字であることは、現代の感覚にもよくなじみます。
その「みち」が、なぜ行政区画の名前になるのでしょう。
手がかりは、古代日本の五畿七道にあります。東海道・東山道・北陸道などの道は、主要な交通路の名称であるとともに、その沿線にある複数の国をまとめる広域区分でもありました。
道路は、都と地方を結び、役人や物資、情報を運ぶものです。道筋に沿って地域をまとめて捉えることには、統治上の合理性がありました。ただし、古代の道が、そのまま現在の県と同じ自治体だったわけではありません。
北海道は、古い命名の型を受け継いだ
1869年、蝦夷地に代わる名称として北海道が定められました。松浦武四郎の名称案が関わったことで知られ、東海道などに見られる古い広域区分の名づけ方を受け継いでいます。
もっとも、その時点で現在と同じ道庁や自治制度が完成したわけではありません。開拓使の設置、函館・札幌・根室の三県を置いた時期などを経て、1886年に北海道庁が設置されました。
北海道の道は、単に「面積が大きい県につける文字」ではないのです。
表記にも小さな特徴があります。東京都を「東京」、大阪府を「大阪」と呼ぶことはできますが、北海道から道を外して「北海」と呼ぶのは通常の省略ではありません。北海道は、道まで含めた名称として定着しているからです。
「郡」――住所に残る、かつての行政のまとまり
郡は、土地や集落に関わる「邑」と、音を示す「君」からなる形声文字とされます。都と郡の右側に同じ「おおざと」があるのは、どちらも人の暮らす地域に関わる文字だからです。
古代中国では県を束ねる単位として使われた郡ですが、日本の律令制度では、基本的に次のような区分に組み込まれました。
国 → 郡 → 里〔のちに郷〕
郡には郡司が置かれ、地方の統治を担いました。「こおり」という読みも、日本の古い地域区分の言葉を伝えています。
今の郡には、行政を行う組織がない
近代の日本にも、郡役所や、郡を自治体として扱う制度がありました。しかし、1923年に郡の自治制度が廃止され、1926年には郡役所も廃止されます。
現在、例えば「○○県△△郡□□町」と書く場合、△△郡は町の所在を示す地域のまとまりです。県と町の間に、郡という自治体が一段挟まっているわけではありません。
押さえておきたいのは、次の三点です。
- 現在の郡は地方公共団体ではない。
- 市は郡に属さず、町や村が郡に属する。
- 郡の区域は、人口や自治体の合併によって変わることがある。
町が市になったり、市へ編入されたりして、郡に属する町村がなくなれば、その郡は消滅します。住所から郡の文字が消える背景には、地域の行政の組み替えがあるのです。
字源と制度史を分けると、住所が立体的に見えてくる
ここまでの話を、二つの視点で振り返ってみましょう。
字源の視点では、みやこを表す都、くらや役所を表す府、交通路を表す道など、それぞれの文字がもともと持っていた意味が見えてきます。県のように、古い字形と現在の意味との距離が大きい文字もあります。
制度史の視点では、中国の郡県制、日本の律令制度、明治の地方制度改革、昭和の東京都成立といった、異なる時代の仕組みが見えてきます。
大切なのは、文字の本来の意味だけで、現在の制度を説明しきろうとしないことです。「都だから上位」「府だから大都市」「道だから広い」「郡だから町村を管理する」と考えると、歴史の途中で生まれた違いを取り落としてしまいます。
いつもの住所は、郵便物を届けるための記号であると同時に、制度の記憶を残す短い文章でもあります。次に宛名を書くとき、その一文字がたどってきた長い道のりを、少しだけ思い浮かべてみてください。