東八箇国の勢を以て、日本国の勢に対し、鎌倉中の勢を以て、東八箇国の勢に対す
読み方:とうはっかこく の せい を もって、にほんこく の せい に たいし、かまくらじゅう の せい を もって、とうはっかこく の せい に たいす
意味
東国八箇国の勢力を基盤にして全国の勢力に対抗し、さらに鎌倉だけでも東国八箇国に対抗できるほど堅固にすべきだ、という構想。勢力を段階的に集約し、防衛力と支配力を築く鎌倉中心の軍事・政治戦略を表す。
由来
鎌倉幕府を開いた源頼朝が、鎌倉を本拠として東国を固める際の軍事・政治構想として伝わる言葉である。鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」には、治承4年(1180年)、頼朝が鎌倉に入った時期に関わる言葉として記される。ただし「吾妻鏡」自体の編纂は13世紀であり、頼朝の発言を同時代の記録としてそのまま確定できるものではない。
備考
日常会話で独立したことわざとして使うことはまれで、頼朝の鎌倉選定や軍事戦略を説明する歴史的引用として用いられる。「東八箇国」は通常、関東八国を指す。
別表記
- 東八ヶ国の勢を以て、日本国の勢に対し、鎌倉中の勢を以て、東八ヶ国の勢に対す
- 東八箇国の勢をもって、日本国の勢に対し、鎌倉中の勢をもって、東八箇国の勢に対す
補足
- 「東八箇国」を現代の東日本にある八つの国や外国八か国の意味に解するのは誤りで、通常は関東八国を指す。
- 「勢」を単なる一時的な「勢い」とだけ解するのは不十分で、ここでは軍事力・動員力・支配力を含む勢力の意味である。
例文
- 頼朝は「東八箇国の勢を以て、日本国の勢に対し、鎌倉中の勢を以て、東八箇国の勢に対す」という構想のもと、鎌倉を本拠に定めたと説明される。
- その城郭整備には、東八箇国の勢を以て、日本国の勢に対し、鎌倉中の勢を以て、東八箇国の勢に対すという段階的な防衛思想がうかがえる。
- まず地域の基盤を固めてから広域の競争に備える姿勢は、「東八箇国の勢を以て、日本国の勢に対し、鎌倉中の勢を以て、東八箇国の勢に対す」に通じる。