烏孫公主
読み方:うそん こうしゅ
意味
前漢が西域の烏孫との同盟・友好関係を築くために嫁がせた王族女性を指す歴史上の呼称で、主に江都王劉建の娘である劉細君をいう。一般的な四字熟語や故事成語ではなく、人物・歴史事項に関する四字の名称である。
由来
前漢の武帝の元封6年(紀元前105年)ごろ、江都王劉建の娘・劉細君は「公主」に封じられ、烏孫王・昆莫(こんばく)へ嫁いだ。『漢書』西域伝には、細君を公主として烏孫王に嫁がせたことが記されており、後世、この女性が「烏孫公主」と呼ばれるようになった。成語として作られた語ではなく、前漢の和親政策に由来する歴史的呼称である。
備考
四字熟語ではなく、固有の歴史呼称である。烏孫は現在の中国新疆北西部から中央アジアにかけて活動した遊牧系勢力。解憂公主も烏孫へ嫁いだため、人物の取り違えに注意する。
補足
- 「烏孫公主」を四字熟語・故事成語として扱うのは不正確で、前漢の人物に関する歴史的呼称である。
- 烏孫王の娘を指す語ではない。漢の王族女性が公主として烏孫王へ嫁いだことに由来する。
- 劉細君と、後に烏孫へ嫁いだ解憂公主を混同しない。
例文
- 論文では、烏孫公主(劉細君)の降嫁を、前漢の対西域外交を示す事例として取り上げている。
- 博物館の解説は、烏孫公主が烏孫王・昆莫に嫁いだ経緯を年表で示していた。
- 『漢書』西域伝を読む際は、烏孫公主に関する記述と、後に烏孫へ送られた解憂公主の記事を区別するとよい。
分類
類義語
- 劉細君
- 細君公主