機教相応
読み方:ききょう そうおう
意味
衆生それぞれの能力・素質・悟りに至る適性(機根)と、仏が説く教え(教法)とが、よく適合していること。転じて、相手の性質や状況にふさわしい教え方・導き方がなされることをいう。
由来
仏教語。「機」は教えを受ける人の素質・能力・時機(機根)、「教」は仏の教法を指し、両者が相応(よくかなうこと)するという考えを表す。特定の一書の成句としての初出は明確でないが、中国で6世紀ごろに体系化された天台教学などで重視された教判・対機説法の思想を背景とし、日本にも仏教の伝来とともに受容された。
備考
主に仏教・宗教教育の文脈で用いる語。「機」は機械や機会ではなく、教えを受ける側の素質・能力・機根をいう。一般の教育論として比喩的に用いることもある。
誤用・混同注意
- 「機」を「器」と書くのは誤り。
- 単に「機会に応じた教育」という意味に限定するのは不正確で、本来は受け手の機根と仏法の適合をいう。
例文
- 師は弟子の理解力を見極め、機教相応の指導を心がけた。
- 難解な理論をそのまま説くのではなく、聞き手に機教相応する説明を選ぶべきだ。
- この法話は子どもにも分かる言葉で語られており、まさに機教相応といえる。
分類
類義語
- 対機説法
- 随機説法
- 契機契理
対義語
- 機教不相応