心性本浄
読み方:しんしょう ほんじょう
意味
仏教で、心の本性はもともと清らかであり、汚れや迷いを本質としては持たないという考え。人が抱く煩悩・執着・怒りなどは、心そのものに固有のものではなく、一時的に付着した「客塵」のようなものだと捉える。修行によってそれらを離れれば、本来の清浄な心が現れるとされる。
由来
大乗仏教の「心の本性は清浄である」という思想に基づく語である。代表的な典拠として、インドで3世紀ごろまでに成立したと考えられる勝鬘経があり、「自性清浄心」と、これを覆う「客塵煩悩」の教えを説く。中国では求那跋陀羅による漢訳が南朝宋の元嘉13年(436年)に行われ、日本には仏教の伝来とともに受容された。
備考
主に仏教思想・禅学の文脈で用いる語。日常会話で「人はみな善人だ」という意味で使う語ではない。煩悩の現実を否定するのではなく、それが心の本質ではないとする教えである。
別表記
- 心性本淨
誤用・混同注意
- 「しんせいほんじょう」と読むのは一般的でない。仏教語としての標準的な読みは「しんしょうほんじょう」。
- 「心性本性」とするのは誤り。
例文
- 禅師は、心性本浄の教えに立ち、怒りにとらわれた自分を必要以上に責めるなと説いた。
- 心性本浄とは、煩悩があっても心の根本まで汚れているわけではない、という仏教的な見方である。
- 彼女は心性本浄という考えを学び、修行とは新しい心を作ることではなく、本来の心を覆う迷いを取り除くことだと理解した。
分類
類義語
- 自性清浄
- 自性清浄心
- 本来清浄
- 真如清浄
対義語
- 煩悩具足
- 迷妄顛倒