身過ぎ世過ぎは草の種
読み方
みすぎ よすぎ は くさ の たね意味
生計を立てる手段は、草の種のように世の中に数多くあるということ。どんな小さな仕事や思いがけない物事でも暮らしの糧になり得る、また生活のためなら人はさまざまな手段を考えるものだ、という意味で使う。由来
「身過ぎ世過ぎ」は、身を立て世を渡ること、すなわち暮らしを立てることをいう古い表現。「草の種」は数が多く、どこにでも生えるもののたとえ。正確な初出年は不明だが、近世、特に江戸時代ごろから庶民の生活感覚を表すことわざとして用いられたと考えられる。備考
やや古風で文章語的なことわざ。前向きな励ましにも、生活のために何でもするという現実的な意味にも使われる。例文
- 会社を辞めて不安だったが、翻訳、配達、修理の仕事まで始めてみると、身過ぎ世過ぎは草の種だと実感した。
- 祖母は、戦後の苦しい時代にも身過ぎ世過ぎは草の種と言って、内職や畑仕事で家族を支えた。
- 都会では意外な趣味が収入につながることもある。まさに身過ぎ世過ぎは草の種である。
- 彼は古道具の目利きを生かして商売を始めた。身過ぎ世過ぎは草の種で、何が仕事になるか分からない。
- 不況だからといって悲観しすぎるな。身過ぎ世過ぎは草の種、探せば暮らしを支える道はある。
類義語
- 世渡りはさまざま
- 商いは草の種
- 渡る世間に鬼はない
- 食うに困らぬ道はいくらでもある
対義語
- 働かざる者食うべからず
- 楽して暮らす
- 濡れ手で粟