春の日と娘の子はくれぬようでくれる
読み方
はる の ひ と むすめ の こ は くれぬ ようで くれる意味
春の日は長く、なかなか暮れないように見えても結局は暮れる。同じように、娘もいつまでも子どものように思えて、いつの間にか年ごろになるということ。時間の経過や成長は、気づかないうちに確実に進むものだというたとえ。由来
正確な成立時期・作者は不明。春になって日脚が伸び、夕方が来にくいように感じられることと、娘が親の目には幼く見えてもやがて成長することを重ねた、生活実感に基づく日本の俗諺。近世(江戸時代)以前から口承され、近代以降のことわざ辞典にも見られる。備考
「くれる」は「暮れる」。娘の成長を親の目線でいう古風な表現で、現代会話ではやや文学的・懐旧的。女性に限定する言い回しなので文脈に配慮が必要。例文
- ついこの間まで小学生だと思っていた娘が成人式を迎えるとは、春の日と娘の子はくれぬようでくれるものだ。
- 新人だった彼も今では部署を任されている。春の日と娘の子はくれぬようでくれるで、人の成長は早い。
- まだ先だと思っていた卒業式がもう来週だなんて、春の日と娘の子はくれぬようでくれるね。
- 孫の背丈が私を追い越したのを見て、春の日と娘の子はくれぬようでくれるという言葉を思い出した。
- 結婚の話を聞いて驚いたが、親が気づかないだけで、春の日と娘の子はくれぬようでくれるのだろう。
類義語
- 光陰矢の如し
- 月日の経つのは早い
- 歳月人を待たず
- 春の日は暮れそうで暮れぬ
対義語
- 秋の日は釣瓶落とし