信心は徳の余り
読み方:しんじん は とく の あまり
意味
神仏を信じ敬う心は、日ごろから善い行いを重ねて得た「徳」が十分に備わった結果として、自然に生まれるものだという意味。信仰を口先だけで求めるのではなく、まず人として善行を積むことが大切だという考えを表す。
由来
正確な初出や成立年は不詳です。神仏への信仰と、善行によって得られる徳とを結び付けた日本の民間的な教訓として伝承されてきました。江戸時代後期までに尾張地方のいろはかるたの句としても定着しており、仏教的な因果・善根の考え方の影響がうかがえます。
備考
「信心」は主に神仏を信じ敬う心をいう。現代の日常会話ではあまり頻出せず、宗教的・道徳的な響きがあるため、相手の信仰を評価するように聞こえない文脈で用いるのが望ましい。
別表記
- 信心は徳のあまり
誤用・混同注意
- 「徳が余っているので、余暇や気まぐれで信仰する」という意味に取るのは誤り。ここでの「余り」は、徳を積んだ結果として生じるもの、という趣旨である。
- 「信心さえあれば自動的に徳が得られる」という意味にするのは誤り。ことわざでは、善い行いによる徳が信心の基盤になるという順序をいう。
例文
- 祖母は「信心は徳の余りだ」と言って、毎朝の礼拝よりも人に親切にすることを大切にしていた。
- 困った時だけ神頼みをするのではなく、信心は徳の余りというように、日々の行いを正したい。
- 地域のために長年尽くしてきた彼の篤い信仰を見て、父は信心は徳の余りだと感心した。